遠浅の海、羊の群れ。

羊の群れは、きまって遠くの向こう岸で、べえやべえやとわなないている。

スヌーズゾンビ

僕はスヌーズが嫌いだ。

なんなのだ、あれは。

スヌーズとは、言わずと知れた、「一度止めても、また鳴る」目覚まし時計の機能である。もう一度言う、いったいなんなのだあれは。

 

僕の同居人は朝が弱い。朝も弱ければ夜も弱い。

朝が起きられないのは当たり前で、夜は眠気に抗えず、床でもこたつでも、体を横にした途端に寝落ちてしまう。

不眠症持ちの僕からするとあらなんと羨ましい体質なのかしらといったところだ。

 

だが、羨ましがってばかりもいられない。朝起きられない、夜起きていられない住人が住むこの部屋には、毎朝毎晩スヌーズの脅威が訪れるのだ。

 

一回目は朝の7時に鳴る。次は7時10分、次は7時20分、次は7時30分と、10分間隔で彼が本当に体を縦にしなければならない9時30分まで、寄せては返すスヌーズの波に、僕らのごくごく小さな賃貸物件は蹂躙され続けるのである。

 

しかも最大音量!

しかもアニメの主題歌!

シンフォギア水樹奈々!!

 

「これは嫌だな」と思い始めてからはや三か月、僕の日中の鼻歌はすっかりシンフォギアのオープニングテーマだ。

 

だから僕は毎朝苛立っている。今朝に至っては苛立ったあまり鳴り続けるスヌーズ坊やを部屋に残して、いつもより三本早い電車に乗ってしまったほどだ。三本早めたら混雑度合いも三割増しで、これについては奴にまったく責任はないのだが「ん~~あの野郎!」となってしまってあらやだやるせない。

 

朝は起きるのを待てばいいし、自分は三回目のスヌーズが鳴る7時30分には家を出ているのでまだいいのだが、問題は夜だ。

 

奴は寝る前にサプリメントを飲むことを日課に「したい」ようで、夜のスヌーズ列車は深夜1時に出発する。もはや終電の時間なんだからさっさと走り終えろよと、その横でうんざりしながら毎度僕は思うのだが、こいつがまたまた線路は続くよどこまでも。10分間隔の波状攻撃、鳴りやまないこのメロディー、響け愛のカンタービレ、黙れ。

 

誰が包丁持って乗り込んでくるかわからないこの時勢、隣ご近所さんの迷惑というのも怖い。「うるさい」と言われれば、ご就寝の彼に代わって冷や汗かきながら謝るのはどうせ僕だ。おいおい世の中どうなってる。

 

隣に住んでいる人に壁をどつかれて

「うるせえぞシンフォギア!」

と怒鳴りつけられたところで「はい僕もそう思います」としか言えませんよ。

 

加えて腹が立つのは、3分ほど鳴らしてから、スヌーズするんだよこの人。

スマートフォンの時計マークを右にスワイプすればアラーム停止、左にスワイプすればスヌーズ、そうわかっていてなぜお前は左にスワイプするんだ。つまり、一瞬だけ覚醒して、しかしサプリメントを取り出して口に含んで水を飲むまでには覚醒していないから、次に鳴ったら頑張ろうってことなのだろうと思う。

明日やろうはばかやろう。10分経ったら頑張ろうはビンタをくれてやるべきである。

 

しかし僕は年上、同居人に優しく「お薬飲まなくていいの?」「いっかい頑張ってみようか」なんて声をかけてはいるのだ。一応、一応ね。でも、全然効果ないし、いっこうにサプリメント口に入れないし、アラーム停止もしてくれないから、両隣の人にブチ切れられる前に僕が奴のスマートフォンの画面に人差し指をあてがって、真ん中の時計マークを右にスワイプしてやるんだよね。

そうしてやっと、私の国に平穏が訪れる。やっと、眠れる。

 

思い返してみれば、僕がスヌーズを嫌いになった原因は、まるっきり同居人のせいだった。こいつの寝起きがよくて、寝落ちしなくて、スヌーズという卑怯な機能など使いもしなければ、僕がスヌーズさんに対して、これほどまでの憎悪を育てることはなかったのだ。

 

アラームが鳴る前にきっぱりと目が覚める僕だからこそ思うのかもしれないが、スヌーズは怠惰が生み出した産物だと思う。

 

「もう少し寝たい」、「あと五分」をお母さんに起こされなくても実現させたのがスヌーズである。一度きりのアラームでは起きられる自信がないから一時間前にアラームをセットして、わざわざスヌーズで起きちゃあ寝て起きちゃあ寝て起きちゃあ寝て「うーんむにゃむにゃあと5分」って、君らはまるでのび太くんではないか。

 

そうやって起きないと起きられないという人がいるのもわかる。

けれど、それを原因に隣で寝ているが、引いては隣に住んでいる人が迷惑を被るというのは、あまりにも身勝手な振舞いではなかろうか。

 

「だって起きられないんだもん」

 

知らんがな。

 

僕にはスヌーズによって起きたり寝たりを繰り返しているお寝坊さんが、半死半生のゾンビに思えてならない。

寝ている状態を「死」と考えるなら起きている状態が「生」だ。

夜から朝へ安らかな死をまっとうし、十分に休んだ体は、爽やかな朝日とともに「蘇生」する。

そんなふうに毎日を生と死の繰り返しだと考えるなら、スヌーズで起きちゃ寝起きちゃ寝している死体は生き返りそうで生き返らない僧侶(ドラクエ)泣かせのリビングデッドだ。

ザオラルの蘇生成功率が50%あったとしても「うーん、あと5分だけ」とか言って、もっかい棺桶に戻っていくのである。

生き返ってさっさと戦え。普段温厚な僕だってMPの限界である。

 

もう我慢しない。僕にだって人権があるのだ。心があるのだ。

たとえシンフォギアだろうが、水樹奈々だろうが、うるせえもんはうるせえのだ。

お隣の方が深夜スヌーズの波状攻撃により心病んで新興宗教にハマって僕にしつこい勧誘をしかける前に、僕はこのスヌーズを除かねばらない。

 

雪男は激怒した。

必ず、かの邪智暴虐のスヌーズを除かねばならぬと決意した、である。

 

もはや、奴がサプリメントを飲めず体調を崩しても構わない。

 

もう、スヌーズなんてさせない。

 

そして、次のアラームが鳴った。

僕は鳴った瞬間に、奴のスマートフォンを音もなく取り上げ、時計のアイコンを風のように右へスワイプした。

はじめてなのに、達人技である。

これが、長い間スヌーズに苦しめられ続けた、国民の答えだ。

 

自分がしでかしたことの大きさと、少しの罪悪感と圧倒的な解放感を感じつつ、

僕はキッチン立ち尽くしていた。

 

やっと、この部屋にも平穏が訪れたのだ。

 

てんた~か~く~ と~ど~ろ~け~~

なみーうーつおーもーいたーばーねて~

しんじ~つ~の~ ね~い~ろ~は~~

ここにあるっかーらーー!!

(イントロドッカーン)

 

……なん……だと……??

 

嘘だろ。

これは、スヌーズなんてもんじゃない。

こいつ、10分おきにアラームかけてやがる……。

 

次顔合わせたら思い切りけんかしようと思います。

 

アデュー。