遠浅の海、羊の群れ。

羊の群れは、きまって遠くの向こう岸で、べえやべえやとわなないている。

死ぬまで暇はつぶせない

「人生は死ぬまでの暇つぶしだ」と、少年は言った。少年は重度の中二病を患っていたのである。なんとおいたわしや、である。

 

人生が死ぬまでの暇つぶしだとはよく言ったもので、おぎゃーと生まれて零からはやばや七十年、その間の今このときも、すべては意識を失うまでの暇なのだと言うのだ。どうせ死ぬんだからなにやっても一緒ダロ? 変にアツクなるのはやめようゼ? フッ(微笑)みたいな。だから死ぬのなんか全然怖くねーんだぜ、的な。

 

その思想の原因が中二病という疾患だとするならば浅はかと言わざるをえないのだが、はたまたそれがお釈迦様のおっしゃるところにはなどと言い始めたらおそらく途端に尊くもなってしまうのだ。来世がんばれって。

 

たとえ来世での幸福が約束されていたとしても、こうやって心臓を動かして、呼吸を繰り返している今このときさえもが、「死ぬまでの暇つぶし」なのだとしたら、俺はそんな人生を与えた神様とかいうやつが憎いね。だって、どう考えても暇が長すぎるだろ。

 

暇ってね、「何もしない」ことじゃなくて、「何もすることがない」ことなんだよ。

「何か」はしたいんだ。何もしないをしたいんだったら、ぼんやりしたいんだよ。

そうじゃなくて、暇な状態っていうのは、何かに情熱を傾けたい、夢中になっていたいのに、それが手に入らないで、うろうろしている時間のことなんだよ。時間が過ぎていっているのがわかるんだ。自分が今まさに一分、一秒を無駄にしているのがわかる、それが暇なんだよ。

 

暇の正体をそうして突き止めたとするなら、「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言い草は、ある意味で滅法正しいんだ。

 

人生という長い長い無駄な時間を、天より高く俯瞰で捉えて、そんなものに一生懸命になったって仕方がないだろうと冷笑してるわけでしょ。

本当にそういう気持ちで、巷の中学二年生が、理解して言っているのだとしたら、達観していると感心せずにはいられないね。

 

だって、僕はまだどうしたってそんなふうには思えないもの。

僕は死ぬのが怖い。

いつか死ぬのはわかってるくせに、あと何十年かでだいたい何歳くらいで死ぬだろうことは容易に予想できるのに、何か(ごく些細でも、なんでもいいんだけど)を達成できそうにはないんだ。

 

何かに夢中になることもなく、誰かをひどく愛することもなく、達成することもなく、それこそ、暇を持て余したまま日々を重ねていくことは、恐怖でしかない。

 

人生が死ぬまでの暇つぶしなんだったら、暇をつぶすのにも必死だよ。

みんな必死こきまくってると思うんだよ。

 

宗教観は特にないからさ、あの世も来世も輪廻転生も人並にも信じてないのさ。だからね、僕は死んだら、死んだらというか、肉体の寿命が来て意識が途切れたら、それで終わりなんだって思ってる。寝て、起きることがない、それだけだと思う。

ただ、寝るみたいに、自分から床に入るんじゃなくて、今まで知らなかった外部の力で強制終了させられるような、そんな感覚なんじゃないかなあと思うんだ。

それってきっと、生まれたときに、無理やり人間として起動・覚醒されたときみたいに、一個、生命が始まって、一個、生命が終わる、そんなもんなんじゃないかと思うんだ。

 

自分の意のままにならない、見えざる力がさ、一瞬バチバチっと働いて、僕を今いるこの世界からログアウトさせるわけだよ。

想像するに、そのあとはずっと真っ黒な画面が永遠に続いているんじゃないかな。でも、そこに画面があることも、視界があるのかも、意識を失ってしまっているから気づくことができないんだ。誰にも観測されずに、僕は僕という存在を一瞬で忘れて、二度と戻ってこないんだよ。

 

そんな自分勝手な終了が用意されていると思ってしまったら、昨日を、おとといをその前の日を一週間前を、僕はなにして生きてたろうって、もったいなく思ってしまうんだ。

 

でも、まあ、それって死ぬ日のことを考えてしまった(思い出してしまったといったほうがいいかもしれない)瞬間だけなんだけどね。

 

できれば、そんなことに気づかないくらいに、何かに夢中になって、誰かを好きになって、大切なものに気付いて、守って、あっという間に年を取って、あっという間に死んでいけたらいいなあと僕は思うんだ。

そして、年老いて体が弱くなって、一人で何もできなくなる前に、何かひとつくらい、胸を張って「成した」と言えるものがあったら、それほど素晴らしい人生はないんじゃないかと思うんだ。

 

だから僕は暇が怖い。

何もしないで、ただただ過ぎていってしまう時間が怖い。

何にも夢中になれず、誰も愛することができず、大切なものに気付くことができず、守るものもなく、あっという間に年を取って、「まだ何もしていないの」と叫びながら、死んでいくのが怖い。「まだ何もしていないのに」と言いたいのに、年老いすぎて声すら枯れてしまって、何も成していないから誰の記憶にも残らなくて、そうして死んでいくことがすごく怖い。どうせ、そんな風に死んでいくであろうと考えてしまうから、考えてしまうたびに、どうしようもなく怖い。

 

生きたあかしとまでは言わないけどさ、せっかく考える頭だけはまっとうにあるみたいだから、日々、日々、何かを思って、文字でも書いてたら、少しは、まあ、救われると思うんだけどね。