遠浅の海、羊の群れ。

羊の群れは、きまって遠くの向こう岸で、べえやべえやとわなないている。

雑記

文章を書いていると、自分が今までよりも少しだけ高尚な存在になれたような気がするから不思議だ。

僕はあくまでも心の内側に沈み込んでいきたい。

世の中は、騒がしいけれど、僕に直接的に影響は与えない。

僕は音楽も映像も画像も要らない。

テキストだけで十分で、テキストだけで十二分に溺れていられる。

この十本の指で叩く文字こそが、僕の世界であっていい。

当たり前のことだけれど、ここではなにもかもがどこまでも自由だ。

貧富も生死も宇宙も概念も想像力の及ぶ範疇であれば、現実とすることができる。

純粋で残酷でわかりやすいやり方だ。

テキストに夢中になれたなら、僕はもう無敵なんだろうと思う。

文字が打てるノートパソコンさえあれば僕は無敵でいられる。

課金要素はないし、どんなに文字を書き散らかしたところで誰かの迷惑になることもない。

僕はただただ、この場所で、醜いものに美しさを求め、美しいもに嘘を見咎める行為に没頭していればいい。

 

ストレス発散の方法は人それぞれにあると思うが、僕のストレスの発散の方法はこうだ。

少し、宗教染みている。

心情の吐露、とまではいかないが、思ったことをつらつらとテキストに焼き直しているだけで、心がどんどん澄んでいくのがわかる。

気持ちをテキストにする作業は気持ちがいい。

 

意味なんてなくてよくて、道理なんて通ってなくてもよくて、日々書くことはあくまでも書き散らしくらいでちょうどいい。

恰好を付ける必要もない。僕はただ、キーを叩きたいだけなんだ。

 

義務のように毎日書く必要もない。

記録と考えるのもよくない。

ライフログ、死ね。

書きたいときに書けたらいい。

所詮ストレス発散をするためだけの暇つぶしなのだ。

冒頭で、「高尚」という言葉を用いたが、僕は高尚だなんてちゃんちゃらおかしい。

趣味のハードルは地面すれすれ低ければ低いほどいい。

一気に頑張ってしまうと息切れする。

いや、頑張らないほうがいい。

 

つらいことをする必要はない。

楽しいから続けられるのだ。

文字数も気にしない。

ただただ書く、つらつらと書く。

誰のためでもなく、自分のためでもなく、キーを叩くのが楽しいから。

 

そうでなければ続くものも続かない。

それでいい。

 

それでいいということを矜持としよう。