遠浅の海、羊の群れ。

羊の群れは、きまって遠くの向こう岸で、べえやべえやとわなないている。

雑記

とかく格式ばった捉え方ばかりをしてしまうほうなのだと思う。

「テーマ」とか「構成」とか、出来栄えばかりを気にして、「とりあえずやってみる」というのがなかなかできない。

恥をかくのが怖くてパーティーに参加できない人のようだ。

さっきも、「ブログを書くにはどうしたらいいのだろう」と考えて、検索サイトでとりあえず「ブログ テーマ 毎日」なんてのを検索していた。

小学生の頃、長い休みに入る前には、計画表というのを作らされたことを覚えているだろうか。

僕はあれが大得意だった。

なぜなら、「そもそもうまくいかない」という前提のもと、「だいたいこんな感じ〜」とマス目を埋める作業としか考えていなかったからだ。できるできないは最初から考えていない。スタートからラストまでの日数を見渡して、今決まっている予定を入れて、あとは課題をバランスよく等間隔で配置していくだけだ。

これが苦手だったという話を聞くたびに、その人はとっても真面目な子だったんだろうなと思う。

いざ長期休暇が始まったとしても、仕事のように進捗を確認してくれるまめな人はいないので、結局新学期開始の三日前くらいに、何ができていて何ができていないのか総ざらいをする羽目になる。たいていは何もできていない。どの年度どの休みもそうだったのだから、確信犯であり常習犯である。自分の小ズルさに溺れたばかりに、つじつま合わせに奔走しなければならなかったのだ。

尻に火がつかないと始められないという人は多い。僕も、なにごとにも締切は必要だと思う。でないと、いつまで経ってもやり始められる気がしない。

ブログにしても「毎日書くのだ!」と意気込んでみたところで、続いて3日、続かなくて今日限りである。

一年後くらいに、「そういえばあの頃そんなことをしていたな」と思い出して、また、続いて3日、続かなくて今日限り、書いて終わり、そんなことの繰り返しである。

「さあ始めるぞ!」と思うほどに続かない。

「どうせ続かない……」と思うほどにも続かない。

結局続かない。

その原因を探しているうちはまだよくて、ほとんどの場合、そんなことを考えていたことすら早々に忘れてしまう。

今回についても、明日また同じように文章を書いていたら自分で自分に拍手を贈りたいとすら思う。

そんなとき、書いている時間よりも、書き始めるまでに悩んだ時間のほうが圧倒的に長いのもまた趣深い。

この文章の出来栄えなんて誰一人として気にしていないのに。

「どうせやるならうまくやりたい」という心理が、ものごを始めるのをどんどん億劫にしてしまうのだと思う。

だから始めるまでに時間がかかるし、始めてからも続かない。

飽き性による負のスパイラルは恐ろしい。

長さ、内容はどうあれ、書きたいときに書くくらいでちょうどいいと思う。

そのくらい気楽にやっていけば、そのうち慣れで毎日書くようになるんじゃないかな。