僕にはレビューが書けなかった
映画をよく見る。ひとりで。
たまには、友達と。
それで、先日も「日本初の18禁BL実写映画!」という触れ込みに釣られて池袋まで映画を観に行ってきた。
面白かった。
が、まあ、いろいろ思うところもあったので、この気持ちは映画レビューとして、上映がおやすみになるタイミングで書こう! と思っていたのだ。
きっと、書くのは好きな僕のことだ。このシーンは最高だとか、あのシーンはそうじゃないとか、自分勝手なことをつらつらと綴れるもんだと思っていたのだが、映画を観に行ったいきさつを書いて、内容に触れるころには、もう飽きてしまっていた。
どうやら、僕は「映画の内容を伝えて共感してほしい」人ではなかったらしい。
最初はいわゆるレビュアー気取りで、「日本初のR18BL実写映画!」なんて書いていたのだけれども、どこかで見たことのある文体で、どこにでも落ちていそうな感想をぺたぺたと書いていたのに、瞬間、「つまんねえな」と声が漏れて、無感情にそれまで書いた(おそらく、2000字程度)テキストを、全範囲選択、デリート、してしまったのだ。
もったいない。
書いて、書いて、書いて、飽きて、消す。
この作業はいったいなんだったのだろうか。
たぶん、僕が想定する(実在しない)つまらない誰かが、同じことやりそうだと、そういうふうに思ったのかもしれない。
とてつもなく無価値なものを作っている気がして、そんなことを趣味でやるなら、趣味ごと捨ててしまえ、と。
僕には映画のレビューが書けなかった。
仕事だったら、きちんと書いただろう。
でも、趣味で仕事のまねごとをやるなんて、愚かここに極まれりではないか。
映画のレビューを書いてお金をもらっている人のレビューはきっと面白いんだろう。
だからこそお金がもらえるのだ。
僕は映画のレビューが書けなかった。
というか、まあ、そこそこにわーきゃーわーきゃー言っているものを書いてはいたのだが、途端に興味が失せてしまった。
そして、この感情はなんだろうと、今この文章を書いている。
僕の中にもいちおう「こだわり」というものがまだ存在しているのだということを実感できるできごとだ。
納期があったり、求められて書いたものであれば、自分が納得していないものでも、「これで今回はどうにか勘弁してください」と頭を垂れながら、提出をしたかもしれない。
日々の食い扶持を稼ぐためにやっている仕事で、仕方なくつまらない人になってしまうのは仕方のないことだ。やらなければ食いっぱぐれる。
しかし、自分が楽しくてやっていることをつまらなくするような要素なら取り入れないほうがいい。
もう、あの2000字はこの世のどこにも存在していないのだが、よく見たことのある誰かの文章だった。
僕のテキストじゃない。
格好いい響きだったり、美しい並びだったり、そういうことを、書いては消して、書いては消して紡いで築くのは楽しい。
できないのではなくて、向いてないといったほうがいいのかもしれない。
面白おかしい映画レビューは僕には向いていない。
向いてないのだ。
あの日の二時間を振り返って、ひとつひとつのシーンを紐解いて、読解していく作業を面倒くさいと感じてしまったのだ。
もちろん、その文章の隙間にも、自分の感情やこだわりが滑り込む余地はある。
けれど、主題に興味が持てなくなってしまったのなら、それ以上のタイピングは労苦でしかないし、なにより、行為に意味が見いだせない。
じゃあ、僕が今「映画のレビューが書けなかった」と書いているのはなんでだろう。
体感としては、考えながら吐き出しているといった具合だ。
そこで、少しの閃きを得た。
かたちのないものをテキストで表現することが好きだけれど、完成したものを評論するのは好きではない、そういうことなのかもしれない。
僕が今書いているのは僕の気持ちで、思いで、感情だ。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう」というところから、この文章は出発している。
とても、内省的である。
心の中を吐露するのは気持ちがいい。
自分でもよくわからないもやもやしたものの輪郭を、テキストという手法を用いて、少しずつ整えていく。
たとえば、感情に名前をつけるような。
気持ちが乗れば映画のレビューだって書けるんだろう。
たぶん、映画鑑賞直後の僕なら、もっとずっと楽しんで”レビュー”できたのかもしれない。でも、鑑賞から3日経った今では、あの日の出来事にそれほどの興味を持てなくなってしまった。
興味は偉大だ。
すべては、興味からはじまる。恋も遊びも勉強も。
興味が持てないことを継続するのは難しい。
今日に限って言うならば、興味こそがすべてだとすら思える。
あの日の映画にけちをつける前に、もっと書きたいことがあるんじゃないかと自問した。
ある、きっとある。
それは、「既に誰かが書いている」と思えてしまうようなものではない。
もうすぐこの内省日記も2000字に到達する。
そんなところで、新しい楽しみに気付いた今日である。