遠浅の海、羊の群れ。

羊の群れは、きまって遠くの向こう岸で、べえやべえやとわなないている。

他罰的事務処リーマン

愚か者ほど他罰的である、と思う。

 

「やってない人もいるみたいですけどね」

定例の週次ミーティングで、去年中途で入ってきた二十代半ばの社員が声を荒げて言った。

わたしが勤めている会社は、全社員で百人程度の中小企業だ。ネットの回線工事や、オフィスの改装工事などを請け負っている。

わたしは総務部のチーフで、派遣社員を入れても六人という小さな部署だ。給与計算や、保険処理、備品の管理など、地味な事務処理ばかりの部署だが、それでもまあ、残業はほとんどないし、給料も驚くほど低くはないので、居心地は悪くない。

体を壊して、営業部門から今の部署へ異動になってからは、がむしゃらに客先へ足を運んでいた頃を思い出して、似合わないことをやっていたなとも思う。

先週から、部内共有カレンダーにそれぞれのスケジュールを入れることになった。十時からミーティングがあるとか、有給休暇を取っているとか、そんな、ごくごくありふれたことだ。

業務の連携を密にするために、それをやり始めようと言い出したのが、山下リーダーだ。彼女は今日、体調を崩して会社を休んでいる。冒頭の中途入社の彼は、田口君という。

田口君の意見はこうだ。

自分からスケジュール共有しようと言っておきながら、山下リーダー自身ができてないじゃないか。

できてない、というのは、部内共有カレンダーの今日という日に「山下:有給休暇」と入っていないことを指す。

社員は全員、会社からノートPCとスマートフォンを貸与されているので、部内共有カレンダーへの投稿は、ネット環境さえあればどこででもできる。

俺はちゃんとやってる、でも、あいつはやってない、おかしいじゃないか。どうやら彼はその怒りを誰かと共有したいらしい。そうだね、山下リーダーはよくないね、と誰かに自分の意見を肯定してほしいらしい。

そこでわたしは、この若者の思想はとても他罰的であると感じたのだ。

それで何か迷惑をこうむったのであれば、まあ、共感もできるかもしれない。しかし、山下リーダーが会社を休んだところで、それがカレンダーで共有されていなかったことで、迷惑を被った被害者なんて誰もいないのだ。田口君と山下さんの職域に至っては、かすりもしない。にもかかわらず、「みんなやってるのに、あいつはやってない」と機嫌を損ねているのだ。

部の面々に妙な空気が流れた。部長が場をとりなして「そうだね、ちゃんと入れるようにしようね」と笑顔で言ってくれた。

「いまどきの若者は」論にはしたくはないので、田口君を切り口に考えたい。

田口君は仕事ができない。これはわたし個人の視点ではなく、田口君本人を除いた総務部全員の見解だ。事務処理はミスが多いし、マニュアルがあっても、すぐ横で教えても、事前に気を付けるよう目をかけていても、いっこうにひとり立ちできる気配がない。人を育てるには時間がかかるとはよく言うものだが、どうしてこの程度のスキルしか持ち合わせていないのに前の職場から三年ぽっちで転職しようと思えたのか。本人に聞いてみたところ、「給料安いし、上司がクソだったからっす」とにやにやしていた。

この口ぶりからすると、わたしもどこかで「クソ」と呼ばれているんだろうなあと思うしかない。自分がどう見られているかは気にならないくせに、仕事での評価は気にするようだ。評価によって昇給するかどうかが決まるということは知っているらしい。しかし、そのやり方がまずい。ミスをする、それを隠す、ばれる、人のせいにする。自分に対してはとことん甘い。そんなことが続いた矢先、社員から預かっている重要な書類がなくなって、部長が「田口君知ってる?」と声をかけたところ、「疑ってるんですか」と顔を真っ赤にして憤っていた。「そうじゃない、みんなで解決しようとしてるんだろう」と部長が取り繕ったのだが、彼は怒り心頭で、「絶対疑ってるじゃないすか」と譲らなかった。わたしは彼のこの態度を見て、彼が犯人だと確信した。結局、休憩時間に彼の書類ケースから目的の書類を取り出し、「共有ボックスに紛れていたということにしましょう」とその場にいた者で決めた。隠して、バレそうになって、どうにかやりすごそうとしたのだと思う。この会社に彼の地位を貶めようとしている愉快犯がいない限り、これは彼の責任だ。ことが大きくなってきたところで、矛先が自分に向いて、パニックに陥ったのだろう。

総務なので、社員からのお願いごとにも対応する。作業員が安心で現場で働くよう、環境を整えて、バックアップするのも我々の重要な役目だ。だのに、彼ったら、でかいのだ、態度が。わたしが引き継いだルーチン作業でも、「なんであんなわからない人が担当になってしまったんだ」と古株の社員から、わたしに遡って文句を言われたこともある。

対社員で炎上案件が発生した際の鎮火薬はだいたいわたしか、わたしで済まなければ部長が出ていく。

人事採用の観点を疑うべくもない。人手不足だからといって、なぜこんな人材を引き当ててしまったのか。仕事が減るどころか、教えるのに手間はかかるし、覚えないし、不誠実だし。そのうえ人の選り好みが激しく、嫌いな人間(彼の不誠実さを指摘するするタイプの人)にはとことん噛みつく。

山下リーダーは派遣社員から正社員に登用された女性社員で、事務処理能力も高く、部内でも信頼され、社員からも人気がある。できる人だからこそ、ミスにも敏感で、田口君が行った作業のダブルチェックに山下リーダーが入った場合、十件あったら二件は差し戻しがある。その際、山下リーダーは間違ったことはひとつも言っておらず、他意もない、田口君を陥れようなんて思っていない。間違っているから「間違っているよ」と言っているだけだ。ならば、田口君から山下リーダーへの嫌悪感は逆恨みに由来するものということになってしまう。

山下リーダーが欠席したミーティングで、山下リーダーの「ミス」を指摘する。彼からしたら、「ここぞとばかりに」といった気分だったのだろう。

しかし、少なくともわたしの目には、山下リーダーより彼が優っているとは到底思えなかった。むしろ、その精神構造の幼稚さにめまいを覚えた。

ほら見ろ、あいつだってミスしてやがるんだ!

できることならば、そういうのは小学校くらいで卒業しておいてもらいたかった。

何も、完璧に仕事をこなせと言っているわけではない。誰だって多かれ少なかれミスはある。しかし、嫌いな人間だからこき下ろしていい理由なんてどこにもない。

彼女は彼女なりの「正しさ」を追求して、日々の仕事をこなしているのだ。たぶん、山下リーダーは田口君のことなんて気にも留めていないと思う。もしからしたら「邪魔だなあ」くらいには思っているかもしれないが。

プライドが高く、自分を客観視できず、視野の狭い人間は、視野が狭いからこそ、他罰的になりがちである。横並びで全員が同じことをやっているぶんには文句は「言えない」のだが、そのレールをなにかしらの理由で外れるものがいると、その理由の内容にかかわらず、「ずるい」とか「だめなやつだ」とか、声を大きくするタイプの人間だ。

総合的に見れば、今、それをやり玉にあげたところで、共感するような人はその場にはいないかった。だから場に妙な空気が流れた。それでも、興奮しきっていた田口君は、その空気の「おかしさ」に気付くことができなかったんだと思う。

もしかしたら、彼は、そのあとのミーティングは山下リーダーの悪口大会になるだろうと予想していたのかもしれない。日頃の行動を総合的に判断して、カレンダー登録を一日忘れたくらいで、誰も山下リーダーに文句は言わない。しかも病欠なのだ。代わりにわたしが入れておいてやってもよかったけれど、わざわざそんなことするほどのことでもなかったからしなかっただけだ。そんな些末なことで揚げ足取りをしようとするもんじゃないよほんとにもう。

いやはや、人を妬んだり、自分の行動がから回ったりしていると、視野が狭くなって、他罰的な思考に陥りがちになるのもわかる。だからこそ、そうならないように、なにごとも物事を俯瞰して見るよう心掛けるいいきっかけになった。

 

田口君には悪いが、視野の狭い人間が、その底の浅い価値観で誰かを断罪したところで、同じ価値観を持つ者同士でしか、その批判には共感できない。

 

違うんだ。そうじゃないんだ。そういうところで悪目立ちするんじゃなくて、仕事で、業務の正確さや、革新的なアイデアで目立ってほしいんだ。

 

その若さはいったいなんのためにあるんだい。

わたしが思いつかないような斬新な発想が、君にはできるはずじゃないのかい。

 

人を批判して気持ちよくなっている場合じゃないよ。

その批判は、君が油断したとき、君自身にも向けられるものだということに、恐怖を感じるということはないのか。

 

「みんながやってることをやらないからわるいやつだ」

そこだけ見ればそうだろう。けれど、この文章には前日譚も後日談もあれば、一年前から今日までの日々の流れがある。

ある一点だけを取りざたして「悪だ」と断ずることは、愚か者のやることだよ。

わたしたちは、日々、自分の愚かしさを見つめながら、襟を正して、何が本当に正しいのかを考えながら生きているんじゃないのかな。

昨日の愚かだった自分を反省しながら、賢くありたいと足掻いているんじゃないのかな。

 

的外れな断罪を目にして、そんなふうに考えてしまった。

別に彼の行動を批判したいんじゃない。

「大人とはどうあるべきか」を問いたいだけだ。

 

「悪い」か「悪くない」かで判断できるほど、世の中は甘くないということだ。

すべてのものごとには、そこに至るまでの経緯と文脈がある。

他人に対して批判的である人は、もっと広くを見渡す視野と、寛容な心を持ってほしい。

そのうえで「悪い」と批判する立場に立たなければならないなら、そうであるならばこれからどうすればいいかを、「悪い」と断じた人の心情や置かれた状況や背景とともに、考えられる度量を備えていたい。

 

そして、わたしたちが本当にやるべきなのは、「面倒くさい」と彼の視野の狭さを切り捨てるのではなく、どうにかして広い世界を見せてやることだ。

けれど、そのやり方が、わたしにはまだよくわからないんだ。

それがとても、悔しい。