遠浅の海、羊の群れ。

羊の群れは、きまって遠くの向こう岸で、べえやべえやとわなないている。

書いてみたいもの

何かをやり始めるにはエネルギーが必要だ。

何かを「書きたい」と思っても、「書き始める」にはもっとエネルギーが必要だ。

そうして、今まで「書きたい」と思って、書けていなかったものがたくさんあると、今になってしみじみと思うのである。

「髪を切りたい」とか、「スマホを機種変したい」とか、「彼氏がほしい」とか、そんな日々の「したい」は誰にでも、腐るほどあるのだろうけども、明日もし地球が滅びるとしたら、明日もし寿命を終えるのだとしたら、書いてから、せめてこの皺の少ないなけなしの脳みそで、せめてせめて思いついたものだけでも、書いてから、この世界に現出させてから、死んでいきたいものだたなあと思うのだ。

新年の抱負というものがある。

年を改めるあたって、今年はこれこれを頑張りますという、あれだ。

願いを実現させる方法として、もっとも効果がないのは「誓いを立てること」だと、僕の恩師は言った。

もう少し詳しく言うならば、「自らの行動について、決意を語ることほど無意味なことはない」という旨の話だった。

ではどうすれば願いは成就するのか。

一日も早く、一回でも多く、行動を実行することだ。

決意を固めるのではなく、固めているなら、もう走り出してしまったほうがいい。

得てして、言動と行動は一致しないことも多い。

ならば、言う前に動け。

今回の場合は、「書きたい」ではなく「書く」である。

そんな言い切りの精神で、このページも次々に汚していきたい。

納得がしたいというのも傲慢な話だ。

自分の身の回りの出来事に納得がしたいというのも傲慢な話だ。
「それでは納得がいかない」と叫ばれたところで、あなたに納得してもらっ必要なんてさらさらない場面だってあるわけだ。

今夜も深夜に恋人は深夜に帰宅した。
私は風邪を引いて寝込んでいたわけだけれども、昼間に通院して、その帰りにいいパン屋を見つけたんだ、なんて、そんな話をしていたわけさ。
恋人はスマホポケモン剣盾のサイトを調べるばかりで、私の話は上の空だったわけだよ。

たまに、「はっ(笑)」なんて言ったりしたがらね。
私は途中で話を切り上げて寝室に潜った。

長時間労働に疲れていて、やっと見つけた隙間時間なんだろう、好きなことを、ものを、やれるだけやりたいんだろう、そのやっとできた隙間時間に、私の入り込む隙間なんてもはやないと、そういうことなんだよ。

がっつりもって納得した。
把握した。

だからこそ、奴のなけなしの趣味時間を邪魔するつもりも毛頭ない。やっとできた接点の時間にもっと恋人として関わり合いたいだとかいう、甘い夢も捨てよう。

おそらくだが、私達は、同居さえしていなかったらここまで長くパートナーシップを続けてはこられなかったであろう。

怠惰でいい加減な彼と、ミーハーで直情的な私が、よくぞまあ空間を同じくしてここまでやってこれたと、全世界が私ならスタンディングオベーション鳴り止まずですよ。

いくら疲れているからって恋人である私をかまってくれないなんて納得できない! 説明して!

そんなことは言えんのですよ。
彼が、帰ってきてて、Switchでポケモン剣やってる、くわえタバコで。
そこに、風呂も入って歯も磨いて髪も乾かした私がいる。肩から毛布かぶったまんまキッチンの壁にもたれかかってつまらないことを言っているんですよ。
これは、そういうシーンなんだよ。

だから、彼が「どうしたの?」と聞くのもセットで、私が「話を聞いてくれないのでへそを曲げました、寝ます」とぶすくれるとこもでもセットなんだね。

彼は布団に潜り込むなり、Switchを構えたまま寝息を立て始めた。
熱出した有給だ医者行くとか私がうだうだやってる間も、目の回るようなスピードで仕事をしていたんだろうな。
昼にちょっと心配してくれるようなメッセが入ってただけで、もう、そんなくらいでいいんだよ。
彼は彼で彼の生活を一生懸命生きてるんだなら。

でも、それでも、一日の終わりにさ、やっと会えた深夜にさ、もう少しのコミュニケーションがあってもいいんじゃないかなあと、私は不満に思ってしまったんだ。

大事を取って休んだものの、幸い、インフルエンザには感染していてなかった。

明日は会社に行く。
最近では、自分が会社で何をしたらいいのかすらわからない、迷子状態なんだ。
上長も、放っておけばそこそこの成果を出すだろう、くらいにしか思ってくれてないんだろうな。
いつも私には同じことしか言わないし。

もっとシャキっとしてみよう。
彼氏、頑張ってるし、私ももっと力を入れて仕事をしてみよう。
余力がありすぎて困る。

まずは、30分早く起きるとか、してみようかな。

そうしたらもっと、「もう今日は何にも気力を使いたくない」という彼の気持ちにも、納得ができるようになるかましれない。
そうだ、私は傲慢なのだ。

人の趣味を笑うな

旧知の友人と酒を飲む機会があった。

旧知といっても10年ほどご無沙汰で、動向を知るのは専らTwitterのタイムラインだ。


彼は、動物装、着ぐるみコスプレイヤーとでもいうのでだろうか、広義でいうところのケモナーである。さらには写真にも熱心で、何十人という同胞を集めて、野外イベントなんてものまで開催してしまうのだ。


そんな彼と同窓会のような飲み会で再会し、「今、ちょっと、むかしやっていたことが再燃しつつある」という話をしたのだ。


もちろん、彼は彼で彼の趣味に夢中なので、「やるかやらないか」だと語りは熱く、冷める隙間は一縷もないように思えた。


「好きなことをやる」エネルギーが、人をこれほど強気に前向きにするのだ。好きなこととはすごい。


彼も昔は多趣味だったが、音楽や、ダンスもしていたが、今夢中なのはカメラと動物装ということらしい。


あとで思い返して、まだ動き始めたばかりなのに、なんであんなでかい口を叩いてしまったのかと赤面したところもあったのだが、彼の言うことにはほぼすべて同意であった。


好きで、楽しくて、人に迷惑がかからないなら、それをやらない理由はない。


とかく大人ははしゃがぬものだと思いこみがちだと思うのだが、本当のところ、楽しいに年齢制限はないのである。

歳を取るに連れて、家族が増えたり、ローンが増えたり、責任感が増えたりで、どんどん人生の自由度は狭小になっていってしまうのかもしれないが、それでもなにかとひとつくらい、人生に楽しみを残していたっていいじゃないか。


暇を持て余して「今日はなにをして過ごしたらいいんだろう」なんて途方に暮れるのはまっぴらごめんだ。


趣味とは、誰かに頼まれたからやるわけではない、暇な時間を潰すためにやるわけでもない、無論、まっとうな大人のふりをするためにやるわけでもない。やりたいからやるのだ。興味が向くからやるのだ。好奇心をくすぐられるからやるのだ。このような気持ちが日常的に持てなくなってしまったとしたなら、それはかなり疲れているに違いない。


昔に比べて、人との出会いのツールや、作品の発表の機会は格段に増えた。見てほしいと思うなら、いくらでも発信することができるのである(もちろん、したくなければしなくてもいい)。


参加の自由度はかなり高くなったし、ハードルは下がった。つまり、誰でも参加はできるし、下手でも発信はできてしまう。


残りの要素は、夢中になれるそのなにかを、どれだけ継続して行動に移せるかどうかということだ。


書きたければ、思いつく限り、すべてを書くのだ。


「わたしは作家である」と一言言えば、たとえ誰一人彼を見ていなかったとしても、彼は彼の世界で作家なのである。


参加者が増えたぶん競争率も上がる。けれど、参加者が増えているぶん、それを拾おうとしてくれる人も増えているのではないかとも思う。


年齢や、環境を言い訳にブレーキをかけるのは不毛だ。

趣味なんだもの。自分さえ楽しければそれでいいのだ。書きたければ書けばいいのだ。

それがわかっていながら、「今さら」とか「下手だから」とか言っているうちは、まだ自分の中の情熱の一端に気漬けていないのではないかと思う。


特に、世間の脚光を浴びるような、アイドルや、俳優などに憧れを抱く若者は今でも多いのだろう。それを考えたとき、若い頃に聞いた言葉が意味を持ってやっとわたしの胸で光るようになった。

憧れを抱いて、なろうとしたものがなれるのではない。なるためのことを日々積み重ね続けたものが、結果的に気がついたらなっているのである。それと気づかずに続けたっていいのだ。

きっと、憧れは、「夢の実現」とはもっとも遠いところにあるのではないかと思う。

たとえば、小説家の場合。

たぶん、だが、小説家になろうと思って戦略的に文章を書き始める者は極めて少数だと思う。その場合「小説家」に対しての憧れが文章を書く原動力なのだから、なれないと悟った瞬間に彼は筆を追ってしまうだろう。でも、「書きたい」だけで書き続けているものにとっては、書き続けていること自体に意味があるのであって、小説家になることが目的ではない。書かずにいられないから、書く、または、書いている時間、もしくは、ひとつ書き終えるという満足感を求めて、書いているから、小説家になれるかどうかなんてどうでもいいのだ。

とにかく、書かずにいられないから書くのであって、出版されたいから、ちやほやされたいから、印税がほしいからやっているわけではない。

やらずにいられないからやるのだ。僕はそれこそが情熱の正体であると思う。

情熱とは、一種の熱病だ。

苦しくても、うなされながらでも、やらずにはいられない。そういう行為や物事に対する執着を指して使う言葉であると思う。

情熱に振り回されて、書いて、書き直して、推敲して、満足したら、次のものを、一生続く最高のループだ。


そんなふうにひとつのことに真摯に本気で取り組めたら、人生はきっともっとずっと豊かになる。だから人には趣味が必要なのだ。


落書きの暇つぶしではなく、自分内の完成、つまりは満足を目指して書く。自分一人がにやにやするためだけに。そういうスタンスで生きていけたら、誰にけなかれようとも痛くない。だって、自分のためにやっていることにケチをつけられたところで誰も損をしないから。

評価ならばなおのこと、そうしたほうが万人受けするのだなと思えば、万人受けする自分の才能を磨いてやろうと思う。

わかりやすさとは何か、驚きとはなにかを突き詰めようと思う。


継続は力なのだ。最強の一手を打つにはどうしたらいいかを考えるのではなく、自分が常に最高でいるにはどうしたらいいかを考えていたい。


自分にとって夢中になれることがあって、それが何かが明確にわかっていて、それを継続して実行できる環境があること、それはつまり、最強ってことなのだ。

夢を見るんじゃなくて

5月ころから妙な義務感にかられて、以前の人生を振り返ってみた。

そしたら、歌と音楽と芝居をもう一度やってみたくなった。

35歳のおっさんが何を言ってるのかというのが、客観的な感想なのだが、やりたいことをやるのに年齢の制限は関係ないし、そういう「夢」みたいなものを見させてくれる商売は世間に思っているよりもずっとあふれていて、それで気持ちや日常生活に張りが出るのであればまあ好都合なのではないかと。

けだるさに任せて一日中布団に転がってTwitterのタイムラインを追っているよりはずっといいと思う。

夢中になれるものがあればストレスは分散される。それは、人によってはスポーツだったり、お酒だったり、恋愛だったりするのかもしれないが、僕の場合、それは創作だったらしい。中高生の頃ならいざ知らず、35歳になって昔捨ててきたはずの楽しさをもう一度拾いに来るとは思わなかった。

仕事終わりの七時から眠くなるまでの12時くらいまで、やってみると、それらで全然時間が潰せてしまうことに少々驚いていた。

カメラやコスプレや同人誌など、趣味がある人がうらやましいと常々思っていたが、自分にも既にあったのだということを思い出しておどろいた。

プロを目指す。お金をもらえるようになる。そうならなければやっていることに意味がないと考えるから、人は好きなことをどんどんやめていってしまうのだと思う。

僕ガ好きなことのほとんどは、創作に繋がっている。

そして首を突っ込んだのが、歌唱オーディションと声優養成所のオーディションだった。

歳も歳だし、半分くらいは冷やかしのつもりだったのだけれど、「なんだかんだと言い訳をつけて途中でやめてしまったり」していたことが大半だったので、きちんと時間を使ってやってみたらどれほどのことができるのうになるのか、どれほどの作品を作ることができるのかというのに興味があった。

驚くべきことに結果は両方共とも合格。

創作意欲は一気に上昇した。

歌手に至っては、合格だけもらって支援は必要なしという絶妙なライン。できたのはプロデューサーとのコネクションだけである。

声優養成所機は授業料をドカット振り込んで、先週末で三回目のレッスンを終えた。これが、楽しい。下は16歳から上は35歳まで(わたしである)が、講師の指示のもとああでもないこうでもないと芝居のいろはをつかんでいく、楽しい。しかも、サークルのお遊びレベルではない。専門学校ではないので週に一度だけだが、みんな本気で学ぼうとして来ている。若さが眩しい。講師と真正面から向き合って、本当に素直な気持ちで演技を学んだことはなかったので、「こういうことだったのか!」と感じることが多い。

次のレッスンまでにこれをこなしておこうとやる気も尽きない。

飽きやすいたちなので、休まないことをとりあえずの目標にしているが、三回行った時点で嫌にはなっていないので、もう少しは続きそうである。

 

DTMでオケを作る時間がないのが惜しい。

小説の続きを書く時間も欲しい。

やり始めてみると、すべてが創作に向かっていて、わたしの生活は光に満ちてきたようにおもう。

 

なんであれ、やることがあるというのはいい。ボルダリング、キックボクシング、フィットネスジム、いくつか手を出してみたが、自分が心から興味を持てないものに夢中になれるわけもなかったのだ。

学生の頃に好きだったものは、大人になっても好きだ。

年甲斐もなく、と、誰かに笑われたところで、それがなんだというのだ。

年齢がなんだというのだ。

楽しければそれでいいではないか。

 

止まっていた、創作の自分史がふたたび動き始めたような気がして、最近はとても楽しい。

 

ただ、それは、夢を叶えたいとか、作家になりたいとか、それで収入を得たいとか、そういうものではない。

とにかく、やりたい。

書きたい、作りたい、歌いたい、演じたい。

どこまでいってもインドア文系なのは変えようがなかった。

プロとか素人とか関係なしに、これがいい。美しい。かっこいいと思うものを、この手で作りたい。追いかけていきたい。

この世界にまだ存在しない僕が大好きであろうものは、僕自身でこの世界に体現するのである。

だいそれた話に聞こえるだろうが、それこそが創作の動機だと思う。

まだないものを自分で作る。こんなにわくわくすることがあるだろうか。

書きたいことがあるから書くのだ。それがおもしろいと思うから、時間と労力を費やせるのだ。

夢中になってかっこよさを追求している時間は、充実の極致で、誰にも邪魔されない、最強の時間だ。

 

こうなってからの俺は賢しいし、強い、きっと。続け続けている限り、燃えていられる。と、思う。

キャベツ畑で歌わせて(2)

わたしはその後、小学校、中学校、高校と「うるさい」ことで何度か指摘を受けた。先生からも、同じクラスの子からも。だって、内緒話ができないのだ。

ささやくような声を「ウイスパーボイス」というのだと、中学に上がってから知ったのだが、女の子たちはみんなそんな感じの声で、こそこそと何かを耳打ちし合っていた。そこにわたしが入ってしまうと、半径10センチメートル以内に留めておきたかった秘めごとが(本当はそんなかわいい内容ではなかった)半径3メートル程度には拡大されてしまう。どんなに声から芯を抜いて、蝶の羽音のように息を漏らしてみたところで、わたしの声はやっぱり通る。衣擦れをイメージして掠れさせてみても、人の耳に突き刺さってしまうらしい。思春期真っ盛りの頃には、もはやこれは一種の特異体質なのではないかと心底恨めしく思ったものだ。まわりの女の子がグラデーションのかかった薄いピンク色の手書きの丸文字で喋っているとしたら、私の声は新品の黒インクで厚紙に印字されたゴチック体のようである。

危険を示す道路標識が人の目に留まりやすくできているように、構造上、わたしの声は人の耳に留まりやすいようにできているのかもしれない。

反面、学生時代には重宝されることもあった。

遠くまでよく声が届くので、小・中・高と学級委員長を歴任していた。校内で、先生を除いて、「静かにしてください」という言葉をもっとも高い頻度で使っていたのはわたしなんじゃないかとすら思う。

だから、男子からは煙たがられたし、女子からは「いい子ぶって先生の点数稼ぎ」と陰口を叩かれることもあった。でも、そんなのはもう慣れっこだったのだ。わたしはこの学級委員長の責をまっとうすることで、短所は長所にもなりうるということを学んだ。

自分が短所だと思っている部分も、人によっては長所だと認めてくれることがある。

わたしは挨拶が好きだ。その中でも「おはようございます」が一番好きだ。これが気持ちよく決まると、その日一日を楽しく過ごせるような気がしてくる。わたしが「おはようございます」と言って、誰か、たとえば先生が「成川さん、元気があっていいわね」なんて言おうものなら、さっきの「おはようございますの」の二倍の声量で「ありがとうございます」と言っちゃったりなんかする。自分のことを「うるさいやつ」とうじうじ悩んでいたのなんかぶわんと忘れてしまって、有頂天だった。

つまりは、自らの身体的特徴から、失敗体験と成長体験の両方を経験したということになる。

コンプレックスも使いようによっては武器になる、そんな格好つけた言葉はまだ知らなかったが、結果から見れば、わたしはそれを身をもって体験したことになる。

背が低いお笑い芸人が、それをネタに笑いを取っているのをテレビで見て、わたしはシンパシーを禁じえなかった。ともすればバカにされてしまいそうな身体的特徴を、逆に武器にして、みんなを笑顔にしている。素直に格好いいと思ったし、尊敬した。そして、きっとこの人も、背が低いことで悩んだりした経験があるに違いないと、勝手に想像して、わたしも頑張ろうと思った。なにを頑張るのかはわからないが、とにかく何かを頑張ろうと思ったのである。

学生時代にわたしが学んだのは、時と場所を考えるということだ。

シーンには、大きな声を出していいときと、声を潜めなければならないときの二通りがある。わたしには後者ができない。

そうして、たいがい、声を潜めなければならないときは、喋ってはいけないときだ。

たとえば、授業中とか、映画館とか、図書館とか。そういう場で、隣の席に座っている友人に、こそこそ話を強要されたときは、もう仕方がない、付き合うしかない。「そんな大きな声で言わないでよ」と驚かれることを覚悟して、思いきりボリュームのツマミを絞って、対処するしかない。

独り言のほうについてはまるでお手上げだった。出るときには無自覚なのだから、対処のしようがない。

図書館で、さっきまでひそひそ話していた声がスッとやんで、その場にいた人たちの視線の大半がわたしのほうを向くことがあった。一緒にいた友達が、唇に人差し指をあてて「なにがわかったの?」とわたしに囁いた。

そのときわたしは、数学の宿題か何かをやっていたのだと思うのだが、突然「そうかわかった」と嬉しそうに声を上げたのだ。

妙な話だが、そういうとき、私の声はほんの一瞬だけ遅れてわたしの耳に届く。

聞こえる、というよりは、知覚するといったほうがいいかもしれない。

頭の中で呟いていた言葉が、ぽんと表の世界に飛び出してしまうのだ。だから、言ってしまってから、はっとしなって、顔を伏せる。そんなことが何回もあった。

学校では「ちゃんとせねば」と気をつけているぶん、まだ回数は抑えられていたのだが、家に帰るともうだめだ。完全にたがが外れてしまって、自分の部屋で一人でずっとぶつぶつぶつぶつ言っているらしい。「ぶつぶつ」という音も本当はそぐわない。普通に、ぺらぺらと話している。

母親がわたしの部屋の扉をノックしたとき、わたしは無心で漫画本にかじりついていたので、そのノックの音に驚いて「わ」と大声をあげてしまった。

わたしの声に驚いた母親はお盆に乗ったお菓子とジュースを危うく落としそうになって、すんでのところで体勢を立て直した。

わたしが焦って「びっくりさせないでよ」と言うと、「こっちのセリフよ」と返された。わたしの部屋からずっと、楽しそうにお喋りをしている声が聞こえていたので、わたしが友達を家に招いていたのだと思ったらしい。これはさすがに迷惑な話だな、と我ながら思う。

母は、わたしの友達の前で”素敵な母親”を演じようとしたのだろう。そのとき彼女は、わたしが見たことのない、純白のフリルのついたエプロンを着けていた。

わたしが「エプロン、かわいいね」と言うと、母は「もうやだ」と乙女のように恥じらって、階段を駆け下りていった。

しかし、これについてはお互い様だとも思う。

母もわたしと同じか、それ以上に、いかつい独り言を発するからだ。

母はわたしが、世界でただ一人(この時分のわたしの世界は極端に狭い)、わたしに匹敵するか、それ以上の独り言喋りすとであると認めている女性だ。

たとえば、台所で料理をしていて、黒コショウが見当たらないとする。

母親は『黒コショウの歌』を歌いながら(振りつき)、最悪、わたしの部屋まで黒コショウを探しに来る。ひどく楽しげに。

黒コショウさん、どこですか、いたら返事してくださいな、黒コショウさん、わたしを困らせないで、黒コショウさん、どこですか。

メロディーはてんでばらばらだが、失せ物を探すときはいつもこんな感じ。

誰に見せるわけでもない、誰に聞かせるわけでもない、そのくせ全力の歌唱とダンス。

ときにチャーミングに、ときにセクシーに。合いの手も自分で入れて、「ハッ」とか、「イーヤーサーサー」とか、どことなく沖縄民謡にかぶれていたりする。我が母ながら、ユニーク極まりない。

調子が乗ってくると居間を通り越して玄関まで花道にしてしまう母を横目に、父は「今日もお母さんは威勢がいいな」などと言いつつ、リモコンでテレビのボリュームを厳かに上げていくのだ。

この母にして、この子あり。この運命からは逃れられないのだと、日常的に舞い踊る母の姿をこの目に焼き付けて、わたしは思った。

しかし、たとえ逃れられないとしても、この家の中では、自由でい続けていいのだと、わたしに示してくれたのも母だ。

兄は母に対しても「うるせえよ」だったが、あ~らごめんなさ~い、鉄の女は息子の一撃どころじゃびくともしなかった。

母は兄よりも強し。ああなりたいとは思わなかったが、この家の中でなら、ああであってもいいのだと思えた。

わたしは、わたしの体質が故に、ネガティブになって、暗い少女時代を過ごすことはなかった。それは、この母を「これが一般的な家庭の風景」と誤認していたからに違いない。母は偉大だ。しかし音痴だ。

わたしは中学、高校の頃、この母の『実録! うちのお母さん』ネタで、何人もの友人作りに成功している。

「たきちゃん、見てみて、右のおっぱいと、左のおっぱい、ブラジャーが外れてしまったのはどっちでしょうか?(ここでわたしが面倒くさろうに、「右?」と言う」)ぶぶー、正解は、どっちもー(ここで母は服をべろんとめくって両乳房を放り出す)」

女の子だけの猥談で、ここぞというときに繰り出す、わたしの鉄板だった。

そんな偉大なる母と物静かで寛容な父のもと、わたしはすくすくと十人並みの成長を遂げた。

学年が変わっても、クラスが変わっても、友達が変わっても、わたしの声が大きいのと、独り言の悪癖が治ることはなかったが、それでも捻くれずに、どちらかというといっそ生真面目に、わたしはひとしきりの青春を謳歌したのであった。

他罰的事務処リーマン

愚か者ほど他罰的である、と思う。

 

「やってない人もいるみたいですけどね」

定例の週次ミーティングで、去年中途で入ってきた二十代半ばの社員が声を荒げて言った。

わたしが勤めている会社は、全社員で百人程度の中小企業だ。ネットの回線工事や、オフィスの改装工事などを請け負っている。

わたしは総務部のチーフで、派遣社員を入れても六人という小さな部署だ。給与計算や、保険処理、備品の管理など、地味な事務処理ばかりの部署だが、それでもまあ、残業はほとんどないし、給料も驚くほど低くはないので、居心地は悪くない。

体を壊して、営業部門から今の部署へ異動になってからは、がむしゃらに客先へ足を運んでいた頃を思い出して、似合わないことをやっていたなとも思う。

先週から、部内共有カレンダーにそれぞれのスケジュールを入れることになった。十時からミーティングがあるとか、有給休暇を取っているとか、そんな、ごくごくありふれたことだ。

業務の連携を密にするために、それをやり始めようと言い出したのが、山下リーダーだ。彼女は今日、体調を崩して会社を休んでいる。冒頭の中途入社の彼は、田口君という。

田口君の意見はこうだ。

自分からスケジュール共有しようと言っておきながら、山下リーダー自身ができてないじゃないか。

できてない、というのは、部内共有カレンダーの今日という日に「山下:有給休暇」と入っていないことを指す。

社員は全員、会社からノートPCとスマートフォンを貸与されているので、部内共有カレンダーへの投稿は、ネット環境さえあればどこででもできる。

俺はちゃんとやってる、でも、あいつはやってない、おかしいじゃないか。どうやら彼はその怒りを誰かと共有したいらしい。そうだね、山下リーダーはよくないね、と誰かに自分の意見を肯定してほしいらしい。

そこでわたしは、この若者の思想はとても他罰的であると感じたのだ。

それで何か迷惑をこうむったのであれば、まあ、共感もできるかもしれない。しかし、山下リーダーが会社を休んだところで、それがカレンダーで共有されていなかったことで、迷惑を被った被害者なんて誰もいないのだ。田口君と山下さんの職域に至っては、かすりもしない。にもかかわらず、「みんなやってるのに、あいつはやってない」と機嫌を損ねているのだ。

部の面々に妙な空気が流れた。部長が場をとりなして「そうだね、ちゃんと入れるようにしようね」と笑顔で言ってくれた。

「いまどきの若者は」論にはしたくはないので、田口君を切り口に考えたい。

田口君は仕事ができない。これはわたし個人の視点ではなく、田口君本人を除いた総務部全員の見解だ。事務処理はミスが多いし、マニュアルがあっても、すぐ横で教えても、事前に気を付けるよう目をかけていても、いっこうにひとり立ちできる気配がない。人を育てるには時間がかかるとはよく言うものだが、どうしてこの程度のスキルしか持ち合わせていないのに前の職場から三年ぽっちで転職しようと思えたのか。本人に聞いてみたところ、「給料安いし、上司がクソだったからっす」とにやにやしていた。

この口ぶりからすると、わたしもどこかで「クソ」と呼ばれているんだろうなあと思うしかない。自分がどう見られているかは気にならないくせに、仕事での評価は気にするようだ。評価によって昇給するかどうかが決まるということは知っているらしい。しかし、そのやり方がまずい。ミスをする、それを隠す、ばれる、人のせいにする。自分に対してはとことん甘い。そんなことが続いた矢先、社員から預かっている重要な書類がなくなって、部長が「田口君知ってる?」と声をかけたところ、「疑ってるんですか」と顔を真っ赤にして憤っていた。「そうじゃない、みんなで解決しようとしてるんだろう」と部長が取り繕ったのだが、彼は怒り心頭で、「絶対疑ってるじゃないすか」と譲らなかった。わたしは彼のこの態度を見て、彼が犯人だと確信した。結局、休憩時間に彼の書類ケースから目的の書類を取り出し、「共有ボックスに紛れていたということにしましょう」とその場にいた者で決めた。隠して、バレそうになって、どうにかやりすごそうとしたのだと思う。この会社に彼の地位を貶めようとしている愉快犯がいない限り、これは彼の責任だ。ことが大きくなってきたところで、矛先が自分に向いて、パニックに陥ったのだろう。

総務なので、社員からのお願いごとにも対応する。作業員が安心で現場で働くよう、環境を整えて、バックアップするのも我々の重要な役目だ。だのに、彼ったら、でかいのだ、態度が。わたしが引き継いだルーチン作業でも、「なんであんなわからない人が担当になってしまったんだ」と古株の社員から、わたしに遡って文句を言われたこともある。

対社員で炎上案件が発生した際の鎮火薬はだいたいわたしか、わたしで済まなければ部長が出ていく。

人事採用の観点を疑うべくもない。人手不足だからといって、なぜこんな人材を引き当ててしまったのか。仕事が減るどころか、教えるのに手間はかかるし、覚えないし、不誠実だし。そのうえ人の選り好みが激しく、嫌いな人間(彼の不誠実さを指摘するするタイプの人)にはとことん噛みつく。

山下リーダーは派遣社員から正社員に登用された女性社員で、事務処理能力も高く、部内でも信頼され、社員からも人気がある。できる人だからこそ、ミスにも敏感で、田口君が行った作業のダブルチェックに山下リーダーが入った場合、十件あったら二件は差し戻しがある。その際、山下リーダーは間違ったことはひとつも言っておらず、他意もない、田口君を陥れようなんて思っていない。間違っているから「間違っているよ」と言っているだけだ。ならば、田口君から山下リーダーへの嫌悪感は逆恨みに由来するものということになってしまう。

山下リーダーが欠席したミーティングで、山下リーダーの「ミス」を指摘する。彼からしたら、「ここぞとばかりに」といった気分だったのだろう。

しかし、少なくともわたしの目には、山下リーダーより彼が優っているとは到底思えなかった。むしろ、その精神構造の幼稚さにめまいを覚えた。

ほら見ろ、あいつだってミスしてやがるんだ!

できることならば、そういうのは小学校くらいで卒業しておいてもらいたかった。

何も、完璧に仕事をこなせと言っているわけではない。誰だって多かれ少なかれミスはある。しかし、嫌いな人間だからこき下ろしていい理由なんてどこにもない。

彼女は彼女なりの「正しさ」を追求して、日々の仕事をこなしているのだ。たぶん、山下リーダーは田口君のことなんて気にも留めていないと思う。もしからしたら「邪魔だなあ」くらいには思っているかもしれないが。

プライドが高く、自分を客観視できず、視野の狭い人間は、視野が狭いからこそ、他罰的になりがちである。横並びで全員が同じことをやっているぶんには文句は「言えない」のだが、そのレールをなにかしらの理由で外れるものがいると、その理由の内容にかかわらず、「ずるい」とか「だめなやつだ」とか、声を大きくするタイプの人間だ。

総合的に見れば、今、それをやり玉にあげたところで、共感するような人はその場にはいないかった。だから場に妙な空気が流れた。それでも、興奮しきっていた田口君は、その空気の「おかしさ」に気付くことができなかったんだと思う。

もしかしたら、彼は、そのあとのミーティングは山下リーダーの悪口大会になるだろうと予想していたのかもしれない。日頃の行動を総合的に判断して、カレンダー登録を一日忘れたくらいで、誰も山下リーダーに文句は言わない。しかも病欠なのだ。代わりにわたしが入れておいてやってもよかったけれど、わざわざそんなことするほどのことでもなかったからしなかっただけだ。そんな些末なことで揚げ足取りをしようとするもんじゃないよほんとにもう。

いやはや、人を妬んだり、自分の行動がから回ったりしていると、視野が狭くなって、他罰的な思考に陥りがちになるのもわかる。だからこそ、そうならないように、なにごとも物事を俯瞰して見るよう心掛けるいいきっかけになった。

 

田口君には悪いが、視野の狭い人間が、その底の浅い価値観で誰かを断罪したところで、同じ価値観を持つ者同士でしか、その批判には共感できない。

 

違うんだ。そうじゃないんだ。そういうところで悪目立ちするんじゃなくて、仕事で、業務の正確さや、革新的なアイデアで目立ってほしいんだ。

 

その若さはいったいなんのためにあるんだい。

わたしが思いつかないような斬新な発想が、君にはできるはずじゃないのかい。

 

人を批判して気持ちよくなっている場合じゃないよ。

その批判は、君が油断したとき、君自身にも向けられるものだということに、恐怖を感じるということはないのか。

 

「みんながやってることをやらないからわるいやつだ」

そこだけ見ればそうだろう。けれど、この文章には前日譚も後日談もあれば、一年前から今日までの日々の流れがある。

ある一点だけを取りざたして「悪だ」と断ずることは、愚か者のやることだよ。

わたしたちは、日々、自分の愚かしさを見つめながら、襟を正して、何が本当に正しいのかを考えながら生きているんじゃないのかな。

昨日の愚かだった自分を反省しながら、賢くありたいと足掻いているんじゃないのかな。

 

的外れな断罪を目にして、そんなふうに考えてしまった。

別に彼の行動を批判したいんじゃない。

「大人とはどうあるべきか」を問いたいだけだ。

 

「悪い」か「悪くない」かで判断できるほど、世の中は甘くないということだ。

すべてのものごとには、そこに至るまでの経緯と文脈がある。

他人に対して批判的である人は、もっと広くを見渡す視野と、寛容な心を持ってほしい。

そのうえで「悪い」と批判する立場に立たなければならないなら、そうであるならばこれからどうすればいいかを、「悪い」と断じた人の心情や置かれた状況や背景とともに、考えられる度量を備えていたい。

 

そして、わたしたちが本当にやるべきなのは、「面倒くさい」と彼の視野の狭さを切り捨てるのではなく、どうにかして広い世界を見せてやることだ。

けれど、そのやり方が、わたしにはまだよくわからないんだ。

それがとても、悔しい。

キャベツ畑で歌わせて(1)

「チームでね、あなたの声がうるさくて集中できないって、クレームが出てるの」

マネージャーは半笑いのまま私にそう告げた。

「話がある」と応接ブースに呼び出されたときは、ついに何かやらかしたかと肝が冷えた。冷えたが、話の内情がわかって、わたしの感情は前にも後ろにも動けなくなった。

 

幼い頃からわたしの声は大きく、なぜだか遠くまでよく通った。

何か行動を起こすたびに、いちいち独り言が漏れてしまうのも子供の頃からの癖だ。今回はそれが悪癖として指摘された。課長の表情と口調を振り返ると、心象的には「非難された」と言ったほうがしっくりくる。あくまでも、”わたしの側”からすれば、だが。

 

わたしは田舎の出身で、実家の裏には叔父が経営するキャベツ畑が広がっていた。

のちにその畑は宅地に拓かれ、兄夫婦の家が建つのだが、高校を卒業してすぐに実家を出しまった私にとっては、兄嫁の趣味であろう新築一戸建ての白壁より、行儀のいいアマガエルが並んで座っているようなあのキャベツ畑のほうが、茶色い土と緑の連なりと、その上に果てしなく広がる青い空のほうが、今でも、私の心のやさしいところにふさわしく飾られている。

わたしはピアノを弾いて歌うのが好きな子どもで、その頃、わたしの周囲に「近所迷惑」という言葉はなかった。

母は音痴だったが、歌うのが好きな人で、台所からはいつも調子の外れた元気のいい歌声が聞こえた。父は大学時代ブラスバンド部に所属していて、ひどい雨の日には自室でクラリネットを吹いていた。

わたしをはじめて「うるさい」と断じたのは兄だ。

わたしは小学生で、兄は高校二年だった。その日、兄は部屋に友人を連れ込んで(女の子もいたと思う)ロックバンドのCDを聞いていたらしい。

兄は年相応それなりにグレていて、兄の友人の髪の毛はたいてい幼稚園の砂場のような色をしていた。

兄は「染めたのではなくブリーチをしたのだ」と何度か訂正したが、小学生の私にその違いはわからなかったし、なぜ黒い髪をわざわざ砂色にしたがるのかもまたわからなかった。

わたしはきちんとヘッドホンをして電子ピアノを弾いていた。隣の部屋から兄と兄の友人たちの声が聞こえたので、いつものようにおおらかに弾いて歌うのは少し気が引けたのだ。誰もがわたしに優しいわけではない。ませていたわけではないが、そのくらいの分別は既に付いていた。あの人たち早く帰らないかなと思いながら、鍵盤を叩いて、声は潜めていた。

わたしのピアノの先生は、早いうちからわたしに作曲についてのあれこれを教えてくれた。

わたしは覚えたての「和音」という魔法に夢中で、三つの音に四つ目の音を添えるとオシャレにな感じがするだとか、五つ目の音をハミングで載せると不思議な雰囲気が生まれるだとか、とにかく、そういう、音が重なる現象に夢見心地だった。

そうして、偶然にメロディーが生まれた瞬間には、「わたしは何かを創ることができる」という子どもながらの全能感を味わっていた。

そんなときだ、わたしのヘッドホンを乱暴に取り上げて、兄がわたしを叱りつけたのは。

兄はわたしのヘッドホンを畳敷きの床に投げ捨てて、もう一度「うるせえよ」と怒鳴った。黒いヘッドホンと一緒に、黒いケーブルと、銀色の端子が宙を舞ったのが見えた。

聴かれるのが恥ずかしいという理由でヘッドホンを着けていたはずなのに、そのヘッドホンのジャックが電子ピアノ本体に刺さっていなかったのだ。

自分の部屋から何度かわたしに「うるさいからやめろ」と叫んでいたのだろう。

友人の手前、おかしな家族がいるとは思われたくなかったはずだ。

わたしは再三に及ぶ警告を無視して、しかも、結局、大きな声で歌ってしまっていたらしい。

密閉型のヘッドホンをしていたせいで、ピアノの音も、兄の声も、自分の声も、ことごとく性能の良い消音効果のもと、私自身にはほとんど返ってきていなかったのだ。

すぐそこでサイレンが鳴り続けているのに、アクセルを吹かすのをやめようとしない、かつ、とてつもなくハイなのに、本人自身ハイであることに気付いていない。誰かを攻撃するつもりなんてかけらもないのに。誰かの邪魔をしようなんて思いついてもいないのに。わたしは無自覚で、無意識で、誰が見ても、明らかに、邪魔者だった。

状況がわかっても、ショックで謝罪の言葉も述べられないまま、わたしは呆然としていた。わたしは、わたしが「無自覚でうるさい人間」なのだと思い知らされて、その愚かしさゆえに、恥ずかしさゆえに、この世界から消えてしまいたいと思った。こんな状況に追い込んだ兄も、遠因となる兄の友人も、巻き添えにして消してしまいたいと思った。

ここが海なら今すぐ海底まで沈んでいくのに。ピアノもヘッドホンも兄も兄の友人も、もろともに沈めてしまうのに。

恥ずかしさに絶望し、訳も分からず、自分を含んですべてが憎く、自分を含めたすべてに対してじんじんと真っ赤な怒りを覚えた。いちどきに形容しがたいこのような感情をじっくりと味わわされたのは、このときが初めてだった。

それは後年、しっかりとわたしのトラウマになった。

あのとき私の心に発露した形容しがたい感情を、努力をしてなんとか端的に言おうとするならば、「恥辱に震える」という言いようがたぶん一番近い。自分自身で失態の原因を作り出しておいて、それに気付かず、気づいた瞬間、やっと、「これは恥辱だ!」と叫んで怒りに震えるような、まるで非常事態である。我ながらとんでもなく間抜けだ。ひどくばかで、かわいそうなやつだ。哀れみさえ感じる。

この日、わたしがショックのあまり家を飛び出さなかったのは、まだ自転車の補助輪が取れていなかったのと、わたしの家から歩いて行けるようなところには、学校か祖母の家か、キャベツ畑くらいしかないことを、無知なわたしでも一応は知っていたからだと思う。