夢を見るんじゃなくて
5月ころから妙な義務感にかられて、以前の人生を振り返ってみた。
そしたら、歌と音楽と芝居をもう一度やってみたくなった。
35歳のおっさんが何を言ってるのかというのが、客観的な感想なのだが、やりたいことをやるのに年齢の制限は関係ないし、そういう「夢」みたいなものを見させてくれる商売は世間に思っているよりもずっとあふれていて、それで気持ちや日常生活に張りが出るのであればまあ好都合なのではないかと。
けだるさに任せて一日中布団に転がってTwitterのタイムラインを追っているよりはずっといいと思う。
夢中になれるものがあればストレスは分散される。それは、人によってはスポーツだったり、お酒だったり、恋愛だったりするのかもしれないが、僕の場合、それは創作だったらしい。中高生の頃ならいざ知らず、35歳になって昔捨ててきたはずの楽しさをもう一度拾いに来るとは思わなかった。
仕事終わりの七時から眠くなるまでの12時くらいまで、やってみると、それらで全然時間が潰せてしまうことに少々驚いていた。
カメラやコスプレや同人誌など、趣味がある人がうらやましいと常々思っていたが、自分にも既にあったのだということを思い出しておどろいた。
プロを目指す。お金をもらえるようになる。そうならなければやっていることに意味がないと考えるから、人は好きなことをどんどんやめていってしまうのだと思う。
僕ガ好きなことのほとんどは、創作に繋がっている。
そして首を突っ込んだのが、歌唱オーディションと声優養成所のオーディションだった。
歳も歳だし、半分くらいは冷やかしのつもりだったのだけれど、「なんだかんだと言い訳をつけて途中でやめてしまったり」していたことが大半だったので、きちんと時間を使ってやってみたらどれほどのことができるのうになるのか、どれほどの作品を作ることができるのかというのに興味があった。
驚くべきことに結果は両方共とも合格。
創作意欲は一気に上昇した。
歌手に至っては、合格だけもらって支援は必要なしという絶妙なライン。できたのはプロデューサーとのコネクションだけである。
声優養成所機は授業料をドカット振り込んで、先週末で三回目のレッスンを終えた。これが、楽しい。下は16歳から上は35歳まで(わたしである)が、講師の指示のもとああでもないこうでもないと芝居のいろはをつかんでいく、楽しい。しかも、サークルのお遊びレベルではない。専門学校ではないので週に一度だけだが、みんな本気で学ぼうとして来ている。若さが眩しい。講師と真正面から向き合って、本当に素直な気持ちで演技を学んだことはなかったので、「こういうことだったのか!」と感じることが多い。
次のレッスンまでにこれをこなしておこうとやる気も尽きない。
飽きやすいたちなので、休まないことをとりあえずの目標にしているが、三回行った時点で嫌にはなっていないので、もう少しは続きそうである。
DTMでオケを作る時間がないのが惜しい。
小説の続きを書く時間も欲しい。
やり始めてみると、すべてが創作に向かっていて、わたしの生活は光に満ちてきたようにおもう。
なんであれ、やることがあるというのはいい。ボルダリング、キックボクシング、フィットネスジム、いくつか手を出してみたが、自分が心から興味を持てないものに夢中になれるわけもなかったのだ。
学生の頃に好きだったものは、大人になっても好きだ。
年甲斐もなく、と、誰かに笑われたところで、それがなんだというのだ。
年齢がなんだというのだ。
楽しければそれでいいではないか。
止まっていた、創作の自分史がふたたび動き始めたような気がして、最近はとても楽しい。
ただ、それは、夢を叶えたいとか、作家になりたいとか、それで収入を得たいとか、そういうものではない。
とにかく、やりたい。
書きたい、作りたい、歌いたい、演じたい。
どこまでいってもインドア文系なのは変えようがなかった。
プロとか素人とか関係なしに、これがいい。美しい。かっこいいと思うものを、この手で作りたい。追いかけていきたい。
この世界にまだ存在しない僕が大好きであろうものは、僕自身でこの世界に体現するのである。
だいそれた話に聞こえるだろうが、それこそが創作の動機だと思う。
まだないものを自分で作る。こんなにわくわくすることがあるだろうか。
書きたいことがあるから書くのだ。それがおもしろいと思うから、時間と労力を費やせるのだ。
夢中になってかっこよさを追求している時間は、充実の極致で、誰にも邪魔されない、最強の時間だ。
こうなってからの俺は賢しいし、強い、きっと。続け続けている限り、燃えていられる。と、思う。