遠浅の海、羊の群れ。

羊の群れは、きまって遠くの向こう岸で、べえやべえやとわなないている。

”士”への憧れ

資格もなく、経験もなく、終わりの見えない転職活動にうんざりしつつ、「ひと月を、またはふた月を過ごせるならばなんでもいいや」と決めた仕事は事務職だった。

楽そうだからと総務部を希望していたのだが、僕が配属されたのは人事部だった。会社の中で人事部が何をする部署なのかは採用されてから調べた。こんないい加減な奴さえも欲しがるのだから、うちの会社はよほど人手不足だったの違いない。

そんな出会いから丸六年。時が経つのは早いもので、気付けば僕も人事6年生ということだ。4月を年度のはじめと数えるなら、次の四月から中学生に上がる。そんな感じか。

 

六年も同じ部署で似たような仕事をしていると、さすがの僕でも人事とはなんぞやという部分が肌身に触れてわかるようになる。健康診断、給与計算、雇用保険労災保険、健康保険、通勤費の計算、税、年末調整、就業規則、給与規定、そのほか各種規程の改定、残業代の計算、勤怠管理、評価制度、衛生委員会、産業医契約、出向契約、ざっと数えてもまだまだあるのだが、キリがないのでこのへんにして、大きく言って社員のことを全部やるのが人事部だった。

会社と社員の間に立って、会社の都合を考えて、社員の権利を守って、どちらにもいい顔をしつつどちらにも厳しい顔をしつつ、最終的には厚労省の顔色を伺うような、そんな仕事だなあと。

 

6年やってわかりかけなのだから相当に奥が深いのだろうことはわかった。

 

そうして、今、6年目が終わる3月。

うちの会社は3年周期で大きな部門異動がある。

中途入社で入ったものの、僕もまだ30代で、どこに異動させられても不思議ではない。大きな異動の二回目が今やってきたのだが、別の部署への異動辞令は今のところまだない。

 

僕にとっても、会社にとっても、僕が人事部員である必然性はないと思っていたので、正直覚悟はしていた。しかし、蓋を開けてみれば、他の部署へやらなければならない必然性もなかったということだ。

 

あと半月もすれば、僕の人事部員7年目が始まる。

 

僕の所属する部署、つまり、人事部には社労士を目指している社員が二人いる。少し前まで三人いたのだが、旧態依然としたやり方に嫌気が指したのか、三人のうち一人は先月を目処に人事の外注をする会社へ転職していった。

上司である課長も何年か社労士試験に挑戦していたそうだ。僕を採用した当時の直々の上司は聴覚障がい者だったのだが、自分の時代には聴覚障がい者は社労士試験を受けることができなかったので、なりたかったのになれなかったと言っていた。その人がやめたあと、一般職から主任、係長と役職を進めたので、その昔社労士試験が聴覚障がい者に門戸が開かれていなかったとしても、今となってはいいわけのようにしか思えなくなった。と、いうのも、四十代でも五十代でも社労士の合格実績はあるからだ。人事の仕事を十年以上やり続けて、受験制度が変わったときに、あの人はチャレンジをしなかったわけで、ならばあの人にとっては、合格の難易度と必要な勉強時間と、資格を取ってからの見返りが比例しなかったのだろうと思う。

 

そうして我が部に社労士を目指す人事部員は残り二人となった。二人とも、予備校に通い、日夜真面目に勉強している。

一人は二年目、もう一人は、さて何年目の挑戦であっただろうか。ずっと受けている人という印象が強い。

それもそのはず、さすが「士業」といったところで、社労士の合格率は低いときで2パーセント、多いときでも10パーセント、つまり1割である。とてつもなく易しい年に受験したとしても十人に一人しか合格しない、極めて狭き門である。だからこそ、「ずっと受けている人」がイコール「落ち続けている人」とは、どうしても思えないのである。どちらかというと「諦めていない人」であると、エールの意を込めて呼んであげたいと思う。

 

士業といえば弁護士だが、あれはたしか法科大学院の履修が必要だったはずだ。調べが甘いのでこのふたつの士業を比べてどうこう言うつもりはないのだが、弁護士に比べればいくぶんか易しいはずだ。

必要な単位数を取得していれば大学在学中も受験することができる。だから、合格者比率の最低年齢は「十代」である。

合格者比率をもう少し見てみると、三十代、四十代が多い。この人たちは、学生ではなく、社会人として働きながら受験し、合格し、社労士資格を獲得した人たちだ。ウェブの記事の浅い知識で申し訳ないのだが、どちらかというと、そういうふうに受験している人のほうがマジョリティーらしい。

 

合格後は二年人事関連の実地講習を行ったあと、会社に勤務しながら社労士業を営む勤務社労士か、開業をしていろいろな会社の手助けをしていくそうだ。

で、この実地講習とやらの免除条件に、人事部での勤務経験が入る。たとえば、先にあげた雇用保険の手続きとか、そんなのをしたことがあるか、というのが免除の条件に入ってくるのだ。気になって少し見てみたのだが、僕が社労士資格を取った場合、この二年の実地講習は確実に免除される。一応四年生大学を卒業しているので、まあ、普通に受験もできる。

 

ちなみに、ちなみにだが、社労士試験は毎年8月に行われる。ノータリンの僕が奮起するには些か、いや、あまりにも遅すぎる。それでも、それでもだ。とりあえず「はじめの一歩」なる参考書を買ってみた。

 

少し面倒で、答えの出ないことを言う。

僕の人生は退屈だ。

特に、仕事が終わってから寝るまでと、土日の暇さ加減がひどい。

なにもやることがなに。何にも熱中できない。

本を読むか、映画を観るか、酒を飲むか、それくらいしか選択しがない。

正直、こんなのがこの先ずっと、死ぬまで続くのならば、今死んでしまっても大きな差はないのではないかとすら思う。

僕の人生は言ってみれば、お金と時間の無駄遣いだ。とかく、「情熱」というものに縁遠い。まったくもってため息が出てしまう。つまらない、これほどまでにつまらないことが他にあるのだろうかと思えるほどにつまらない。

駅前の居酒屋の前に酔ってたむろして騒いでいる大学生連中を観るにつけ、生命を謳歌しているなあとうんざりとうらやんでしまうのだ。

僕の生命があまりにも輝かないので、僕は人生がつらいのだ。

何かに夢中になりたいけれど、その何かが見つからない。

こんなことをずっと思いながら、おじいになって死んでいくなんて嫌すぎる。失敗してもいい。僕にだって「夢中になる権利」くらいあるはずである。

 

そこで、「社労士」である。

なんかかっこいいじゃないか。

なんだかよくわからないうちに人事部に配属されたが、やってみるとそこそこ楽しい仕事だったので、社労士を目指してみようと思った。ストーリーとして違和感ないじゃないか。

いやいや、そうではなくて。

夢中になれるものを探して、でも、それはきっとなんでもいいわけでもなくて。自分がすでに頑張っているもので、さらに頑張って、頑張って頑張って、頑張らないとやった甲斐を得られないような高い壁で、まあ、現段階ではギリギリでも越えられるような低い壁ではないのだけれども。

 

「はじめの一歩」に掲載されていた内容は、ごく簡素なものだった。人事を六年かじっただけの僕でも、それなりに理解できる、知っているものばかりだった。

頁をめくるたびに、知らなくて、悔しくて、調べまくったあの頃の僕とまた出会えるようで、少し楽しくなった。

 

挑戦するのはいい。目指しているところはわかりやすいほうがいい。ほしいものは、名前がついているほうがいい。

 

社労士というのはものすごく頭の切れる人で、ものすごく偉い人だと思っていたのだが、資格試験だけならば大体の人には、(つまり僕にも)門戸が開かれているということがわかった。

 

もう少し早くやる気になっていたらなと、早くもギブアップしてしまいそうなのだが、とにかく、決戦は8月である。

 

今の会社に入って「突然辞めない」だけを目標にサラリーマン生活を送ってきたのだが、自分にとって有意義な時間の潰し方がやっと見つかったような気がする。

 

公言してはいないのだが、こうして、我が人事部に社労士を目指す社員が三人になったわけだ。

もし、問い詰められたら「記念受験で」なんて情けないことを口走ってしまいそうで怖いのだが、とにかく一年目は独学でやってみようと思う。

 

もし、会場で同僚にばったり出くわしてしまったら、試験監督のアルバイトをしているとでも言って誤魔化そう。

 

何より、平坦ではあるが、終業後と休日の予定ができたことが、今はなによりも嬉しいのである。

 

追加報告はないかもしれないが、とりあえず、ひさかたぶりの「勉強」に夢中になってみたいと思う。