遠浅の海、羊の群れ。

羊の群れは、きまって遠くの向こう岸で、べえやべえやとわなないている。

起きない人と過ごす一日は考えることの多い一日だった

昼前から続く微かな寝息に、どんな夢を見ているのだろうか、なんてことは思わない。

眠りに落ちるのも、溺れるのも得意な彼は、きっと、目が覚めてはっとするような夢は見ない。たとえば、暖色系のマーブル模様の濁流に、押し流されたり、沈められたり、打ち上げられたりしているのかもしれない。

昨夜の終電で帰れず、彼がこの部屋の玄関を開けたとき、僕はキッチンで朝食を食べていた。僕はおそらく”きょとん”とした顔で、「おかえり」と言葉を漏らしたのだと思う。

彼は、何をするでもなく、重たげなビジネスリュックを肩から下ろし、服を脱ぎ、既に死人のような足取りで自分の布団に沈み込んでいった。

 

もともと、今日は会社に行かなければならない予定がなかったので、在宅で仕事をする予定だった。その、僕が在宅で仕事をする今日が、彼の10日ぶりの休みだったということは、さっき知った。

 

会社に行く用事がないとはいえ、暇なわけではない。僕も僕で、日ごとに締め切りがあるようで、きちんと仕事に追われている。

 

彼はパチンコが好きで、休日にはよく打ちに行く。特に今日は、給料日後初の休みだったから、「少しくらいは遊び行くのかな」とは思っていた。

 

僕も、在宅勤務とは言え、一日中自宅のPCの前に座っていなければならないわけではない。昼休みには郵便局にも行けるし、行きと帰りの通勤の時間がないだけ、自由時間が、たぶん、三時間増えている。

 

僕が在宅勤務で、彼が休みの日は、僕の昼休みに合わせてふたりで駅前まででかけて、昼食を食べて僕は仕事(自宅)に戻り、彼はパチンコ屋に消える、という過ごし方をここ何回かやっていた。

けれど、今日にいたっては、昼過ぎになっても彼が目を覚ます気配はない。

「ごはん食べない?」と声をかけると、「うん」とも「んー」とも言えない反応をして、薄く目を開いてこちらを見るのだが、彼の顔を覗き込んでいる人間が僕だとわかると、ギリギリに開いた目が重すぎるガレージのシャッターのようにストンと落ちて、5秒もしないうちにまた寝息を立て始めた。

 

最近の何回かのことで、こういうタイミングの日は一緒に食べに行く駅前の中華料理屋が楽しみだったのだが、しかたない。僕は、今日もオフィスでせっせと仕事している上司に昼休憩に入ることを告げ、キッチンで冷凍ご飯を温めて、作り置きのおかずを頬張った。

郵便局へ手紙も出しに行った。郵便局に行くけど、コンビニで何か買ってこようか? 声をかけたらついてくるかな、とも思ったのだが、やめた。

 

僕の定時は午後六時だ。何もなければ午後六時きっかりに仕事を終えることができる。

彼はその午後六時きっかりに一度起きて、僕が昨日作っておいたハンバーグと鶏肉のチリソース煮を見つけて、食べていた。そんなときに限って僕は世話しなくて、きりが悪くて、変にノってしまっていて、結局僕が今日のぶんの仕事を終えたのは午後七時半だった。

キッチンに続く扉を半分だけ開けてこちらを見る彼と目が合った、僕は高い音を立ててPCのキーボードをなぞりつつ作業だけは続けていた。

「忙しそうだから、邪魔しちゃ悪いと思って」

「そんなことないよ」

そんなことないわけはないのだが、一日寝て過ごして、一歩も家から出ず、やっと食道と胃袋を癒した人なのだ。食事をしているということは今だけはどうにか覚醒をしているのだ。生命の維持のために。

だが、僕はそのチャンスもふいにした。

僕がそれから一時間半後に仕事を終えて、「銀行にお金を振り込みに行くけど」と声をかけても、彼がもう一度目を覚ますことはなかった。

エネルギー補給を終えたらから、また深い眠りに落ちてしまったのだ。

 

銀行での用事を終えて、帰ってきても彼はまだごくひっそりと寝息を立てていた。

僕ももはやなんとなく意地になってきてしまって、もう、声はかけなかった。

僕は冷蔵庫にある肉と野菜で甘酢あんの炒め物を作り、炊飯器で米を二合炊きおにぎりを四つ作った。たらこが二つに、しゃけが二つ、ラップでくるんだそれぞれにマジックを使ってひらがなで「た」、「し」と書いた。ぼんやりとした頭でやっていたので、もしかしあら「し」から「た」が出てくるかもしれない。

 

そうしてキッチンもひととおり片づけて、干してあった洗濯物もたたんで、今、今日あったことをPCの前で振り返っている。

僕の落ち度と言えば、まだ台所仕事用のエプロンを着けているところだ。

あと、もしかしたら、だが、彼にしつこく声をかけなかったこと。

振り返っても、思い出しても、それがどの瞬間かはわからないのだが、もう少し、もう一度くらい、しつこく声をかけていたら、惰眠を貪り続ける彼の心を、なにかなんだかわからない力が、キラリと震わせることがあったかもしれない。

「疲れているのだから寝かせておいてあげよう」という気持ちは優しい。

けれど、昼から夜まで、もうすぐ夜の十一時にもなって、「寝かせておいてあげよう」はどうなのだろうか。

「せっかく二人そろって家にいるのだから、一緒に酒でも飲まないか」とか、誘いようによっては、いぎたなく枕をよだれで汚すだけの一日にはならなかったかもしれない。

一日が終わる。今となってはどの選択肢も取りようがないのだが。

 

さらには「一日寝て過ごしたこと」が、さも「もったいないこと」だと考えてしまうのも、僕の勝手なのだ。

自分だったらどうだろう、と考えるのはいい。しかし、その考えから発露した思想を誰かに押し付けるのはどう考えても傲慢だし、もう少し言えば世間知らずで暴力的だ。

 

相反して、僕は不眠症である。

日常的に睡眠薬が手放せない。だからこそ、というべきか、にもかかわらずというべきか、寝ること自体は大好きだ。

少し前の世の中の常識のように、一度も起きることなく八時間も眠れたならどれだけ幸せなのだろうかと、眠れる人が羨ましくて仕方がない。

 

僕の平均的な睡眠時間は四時間から五時間だが、彼は今日、すくなくとも僕が仕事をする部屋で、十四時間は毛布にくるまっている。

その横で、僕はアイスコーヒーの氷を溶かしながら、彼が僕に何か言うのを待っている。ひたすらに、待っているのである。

 

もうすぐ、またひとつ、日付をまたぐというのに。