遠浅の海、羊の群れ。

羊の群れは、きまって遠くの向こう岸で、べえやべえやとわなないている。

キックボクシングジムの幽霊会員

そのときは夢中で思い至らなかったのだが、あとになってから、「これから始めることは本当に正しいのだろうか?」と考えてしまうことがある。

たとえば、習い事だ。

まだ僕が荒川区に住んでいた頃のこと、近所にキックボクシングのジムがあると知った。

事務仕事ばかりの職場に転職したばかりで、なにか体を動かすきっかけが欲しいとは思っていたのだ。

入会金の二万円を銀行のATMから振り込んだあと、夕飯を食べて、シャワーを浴びて、葉を磨いて、布団に横になったときに「これは本当に正しい選択だったのだろうか」と思った。

月々一万円の会員料金も、1年経てば12万円だ。

はじめは、週一で通えば一回2500円だし、その金額でプロの指導が受けられるなら安いと思った。しかし、それが今となっては、プロの指導なんて自分に必要だろうかと首をひねってしまっている。

月々一万円貯金して、河川敷でも走っていたほうがよかったのではないか。

自分は、キックボクシングで、人生になにを見い出すつもりなのか。

スタートを切る前から疑心暗鬼なのだ。

これはまったくもって僕の悪い癖なのだが。

やり始める前に「本当にやる気がありますか?」なんて聞かれてしまうと、途端に情熱が冷めてしまう。

熱意を必要とする契約が苦手なのだ。

決意を要求されることが嫌いなのだ。

できれば、自分で決めたくない。だから、自分で決めたことほど、「これは本当に正しい選択だったのだろうか」と、融通が効かなくなったくらいのタイミングで、立ち止まってしまうことがある。

関わる人や、場所や、決まりごとが多ければ多いほど、その気持ちはつよくなる。

入社式の直前に、どこか遠くに逃げ出してしまいたくなるような、不真面目な感情だ。

そんな気持ちとは関係なく、初日はいつでもやってきたし、結局は自分の性格に合うか合わないかで続くかやめるかも決まる。

なにかにつけてこんなふうに思うくせに、「やっぱりやめます」と言い出したことはない。

どんな悪あがきをしたところで、時間は未来にしか進まず、過去にした決断は覆らない。「がんばります」の直後の「やっぱりやめます」は、とてつもなく面倒くさいということくらい、僕にだってわかっている。

それでも、なにか新しいことを始めようとすると、いつもこの気持ちはついて回ってくる。

おそらく、不安なのだ。

自分のような信念のない人間に、そこまででかけて、知らないことを覚えて、続けていけるのかどうかが。

月々一万円の価値は、自分の態度しだいで決まる。

僕がその経験から大きなバリューを得るだとしたら、その一万円はとてつもなくお買い得な選択であったのだろう。

ちなみにだが、件のキックボクシングジムは三回だけ行って、そのあとはずっと幽霊会員だった。

こういうやつがいるから、一年以内に退会する場合は手数料がかかるとか、そんな制度を整えておくのだろうな。

結局僕は、「いつか、ものすごく気が向いたときに行けるように」月々一万円の会費をただ払い続けていた。

今となって思えば、まったくの無駄であったと言わざるを得ない。

それから、二度引っ越して、引っ越すたびに、まずフィットネスジム、次に演劇サークルと首を突っ込んで、どちらもすぐに幽霊会員となり、誰にも惜しまれずフェードアウトしていった。

そのたびに、思いつきで動くのは良くないと思い知らされるのだが、このばかは30もとうに過ぎているというのに、なかなかに学ばないのだ。

なにかほかのことで頭を悩ませていればまだいいのだが、生活のモチベーションが上がってくると、すぐに「なにか新しいこと」をはじめたがる。

僕が猫なら、好奇心というきっかけで何回殺されていたかわからない。

次こそはと毎回思うのだが、都合のいい頭だもんで、うまくいったものごとについては、「始める前に思い悩んだ」記憶ごと、忘れ去られてしまうらしい。

僕が、「あのときやめておけばよかったのにな」と思う趣味や習い事は、たいてい続かなかいものだったし、楽しいと思えたのは最初の一、二回だけだった。

好奇心が猫を殺すなら、僕を殺すのはきっと余暇だ。

殺すのではないな、騙されるのだ。

余暇があるから、浮ついた考えが浮かぶ。なにか新しいことを始めれば、別の自分になれるんじゃないかと、阿呆な期待をする。

忙しいは心を亡くすと書くが、暇で心が生まれてしまうのも考えものである。

さて、次に訪れる余暇で、僕はどんなことにつばをつけてしまうのだろうか。

わかっているのならやめればいいのに、そううまいこといかないのが、きっと人生なのだと思う。

次に訪れた僕の新たな趣味が、もしも一年以上続いて、お月謝ぶんの成果を得て、人間的な成長があったとしたら、珍しいこともあるもんだと声をかけてやってほしい。

風邪薬が効いたようだ。夜半にあった微熱が平熱まで落ち着いた。

書いているうちに首や脇の熱さも落ち着いた。

「これは本当に始めるべきだろうか」と考えていたことがひとつあるのだが、もうやめよう。

とりあえず、お月謝は払って、来いと言われたときに言って、やれと言われたことをやろう。

始めてもいないのに、続けられるかどうかを思い悩むのは馬鹿げている。

寝れば、今日気付いた風邪も快方するだろうし、「新しいこと」の当日もやってくる。

とりあえず、時間は未来にしか進まないのだから、タイミングを見計らう必要もない。

そのときになったら、思い切り飛び込めばよいのだ。

そんな、できるだけ前向きな気持ちで、今日を終えたいと思う。